二次元の初恋の話

「すまない」
 ————たった一行、四文字の科白である。
 だがこの一言に、どうしようもなく惹きつけられてしまったのだ。


ここに少女マンガきらきらエフェクト〜〜〜〜をかけたいのが初恋という話題。
二次元の初恋、要するに「最初に紙の向こうの存在にときめいたのはいつ、誰にだったか」という話は意外と奥が深い。

「どこにときめいたのか」は現在持ってる性癖に直結してたりするし(初恋はあんなにピュアだったのにどうしてこうなったという場合も大いにあるけども)、「いつ、どんな媒体(状況)で」はヲタ心の芽生えの時期を物語る。

ちなみに周囲でこの話題に乗っかってくれた人たちの中では「スナフキン」という声が飛び抜けて多かった。初恋泥棒か。次いで「タキシード仮面」。大人になって冷静になったと言うが恋は盲目である。

そしてなかなかに興味深いのが「初恋」と「初彼氏(初本命)」は違うという意見。

初恋はあくまでふわっとした「憧れ」であり、自分と一緒にどうこうしたいという思いはなかった。
一方で、口に出す出さないは別として「もしカレ(人類以外も含む)が現実にいたなら」と考えて甘酸っぱい気持ちになった相手は違うという。

初恋は微笑ましく語れるが、初彼氏(初本命)は恥ずかしくて語れないという場合もある。純然たるヲトメゴコロだ。もちろん、自分を相手として想定しない場合もある。ときめきの種類は多い。

ここに現在わかりやすく好意対象を指す「推し」という概念を持ち込むとまた別の話に展開するような気もする。「好き」という感情はしみじみと多種多様だ。

私の初恋は、そのときは恋だと気づかなかった。
あとからふと、「あぁ、私の二次元の初恋はあの時だったんだな」と思い返した。

恋に気づくには幼すぎたのだ。

点描を散らしながら遠い目をしているが、ここで「さて誰でしょう!」と聞いても絶対に当てられない自信がある、裏を返せばそう盛り上がらないオチがすでに見えてることを先にご報告しておく。

そもそも自分の初恋に気づいたのは「自分がいつからヲタクだったのか」という問いかけを考えていたときのことだ。
ヲタクにはさまざまなルーツがある。自分の場合は完全に文字中毒経由であった。幼少期から本棚の前が定位置だった。人生で初めて読破した本のこと、そのときの感覚もよく覚えている。あれは幼稚園でのことだ。

人生で最初に読んだ本はなんであろう、名作絵本『ごんぎつね』であった。と言っても話の内容が理解できていたわけではない。習ったばかりの文字と音が一致し、最後まで迷わず読み終えることができた最初の本だった。文字を読むという行為のあまりの心地良さに、自由時間には何度も何度もページをめくった。

いわばムスカ状態である。フハハ、読める、読めるぞ……!という感動が最初の読書体験となった。記念として誕生日に『ごんぎつね』の絵本をねだったが、書店に置いてあるものは幼稚園のものと表紙も形も違って(幼稚園のは正方形っぽくて真っ黒い全体の中心に明るい円があり、そこにごんがいる装丁だった)、これじゃないと親を困らせた。親は困ってくれた。

その後も何冊もの本に触れ、年を重ねていくにつれ内容もどんどん読み込めるようになり卒園するころには立派な文字中毒ができあがっていた。小学校に上がる際に教科書を受け取ったときはこんなに大量の本を与えてもらえるだなんてと心踊った。

そして、運命の出逢いが訪れる。

文字中毒経由のヲタクにありがちだが、教科書、とくに国語の教科書はもらったその日に読んでしまうものだ。小学二年を迎える春、まだ新しい本の至福の匂いをかぎながら私は彼と出会った。

「すまない」

心惹かれたのは、ただその一言だけだった。
『ふきのとう』という作品に出てくる、竹やぶ、彼こそが私の二次元の初恋相手である。

理由はわからない。恋なので理由はたぶんない。ただ、すまない、というその一言だけがこれまで読んできたどんな本のどんな登場人物の言葉より、ときめきをもたらしたのだった。

彼、と言ったが性別はもちろん不明である。直前に雪が「ごめんね」というシーンがあり、これが女性的だったからバランス的に男性のパートになるんじゃないかと思っただけだ。雪の「ごめんね」には惹かれない、という不思議さを、何度もそっと音読してみては確かめた。

『ふきのとう』は教科書の中でも前の方にあり、わりとすぐに順番が回ってきた。まだ春の気配の濃い教室で、淡い逢瀬の時間を過ごした。朗読で、どうかあの箇所がぴったり私のところにきますように、とどきどきしながら願ったが、叶わなかった。

やがて授業は『ふきのとう』を通り過ぎ、季節は変わり、学年は上がり、通う学校も変わっていった。たまに彼のことを思い出すこともありつつも、漫画小説街道をひた走った末にいつのまにかヲタ街へつっこんでいたのだった。

とはいえ、二次創作商店街にほど近いヲタクの住宅街に居をかまえたのは実は社会人になってから、さらにいえば新卒で入った会社を辞めた後のことである。それまでどこにいたのかというと、原作団地の片隅で敷地内からほぼ出ずに暮らしていた。端的に言うと、原作厨だった。

作者こそすべて。関係性を変容させた二次創作も改変を加えるメディアミックスもすべてを憎んでいた。「いた」、と過去形なのは、今はまったく真逆の場所に立っているからである。端的にいうと雑食である。イベントでは薄くて熱い本を積んだ高さ計2〜30センチくらい手に入れる。憎しみで満ちていた頃とは、見ている景色は180度変わった。

人が変わるにはきっかけがある。
とある大きなきっかけに行き合い、原作厨から雑食二次創作者になった。ではヲタクとはなんなのか、自分はいったいいつからヲタクであったのかについて深く考え、振り返った結果、自分の初恋に気づいたのだった。

とうに二十歳を過ぎていたそのときにはもう自分の中に、大勢のキャラクターたちが住みついていた。楽しげに話しかけてくる彼らとあきらかに違う位置にいた、それが竹やぶだった。
すまない、というただ一言。その響きは今も胸の奥を揺らし、何度も何度でも理解する。

あれは確かに恋であったと。
(初恋エフェクト)〜fin〜

2018/10/26