ブラック会社に入社した話

ワタクの記事に何を書いたらいいものかとずっと悩んでいたのですが、今年も新卒入社という時期が巡ってきたようなので、ブラック会社に入社したときの話をします。
つらつら書くのでたぶん長くなり、ワタク部分なのでふだんより感情が入りやすくなる気がしますが、「実録!ブラック会社に入社したやつ!」みたいな感じで眺めていただけると幸いです。

朝5時07分の始発で帰り、シャワーを浴びて1時間半横になり、朝9時の始業に合わせて8時半に出社する。
完全週休二日制を謳っていたものの、休みの日に休むと上司に「なんで昨日会社に来なかったの?」と聞かれる。

こういう職場の話です。

業種は不動産。
新卒入社。
というより、その会社は「中途入社で社員を入れるとウチの社の色に染まらないから」という理由で新卒採用だけを主として心がけていました。
当時の状況を心配してくれていた友人たちからは「宗教やん」と言われ、抜け出したあとは「宗教だったな……」としみじみ感じ入りました。

なぜそこを選んだのか。
ブラック会社といってもいろいろあるもので、その会社は会う方会う方が非常に明るく、意欲的な方ばかりでした。
そして、会社のプランは聞いてるだけで「自分が客だったらこの会社に頼みたいな〜!」と思うようなものでした。

ここで一つ、落とし穴があったと思います。
お会いしたみなさん、「仕事第一、仕事人間! 自分を成長させてくれる環境イズ素晴らしい!」という感じだったのですよね。
わたしの就活時期はどちらかというと売り手市場で、中小企業の一つであるその会社さんは内定者を求めてらっしゃいました。
そんな中で、希望学生に面会させるのは当然に社内でも評価の高い人物です。
みなさん、素晴らしかったですね!こんな先輩と働けるなんて素敵だなって思いましたね!
実際、そこ自体にあまりウソはなかったです。
なぜなら、その会社に一年以上残っているのは「仕事第一、仕事人間! 自分を成長させてくれる環境イズ素晴らしい!」と仕事にのめり込んで輝ける方々のみだからです。
自然淘汰を身をもって経験しました。

相性というものもあったのだと思います。
注意して聞くべきだったのは、みなさんが濁しながらも触れた「会社に入ってからもう何年も仕事以外の好きなことをする時間はなくなった」という点でした。
オタクが入っていい会社じゃなかった。

もう一つ、相性の問題は直属の上司そのひとでした。
ただ今振り返っても、あの上司と相性の良い方はいるのだろうかとは思います。
女性の方で、親しき仲には礼儀なし、それこそが親しい証明という方向性の方でした。
採用担当の方でもあったので、つまりはわたしを採ったのもこの方の決定のはずなんですが、最終的には様々な感情を向けられました。うーん。

そもそもなぜ不動産業界を志したかというと、部屋というものがとにかく好きだったためです。
今のここに落ち着く糸口がこの時点から見えていたようです。今気づきました。
いろいろな物件という選択肢の中からその特色を学び、お客様の求めるものを提案するというお仕事をとても魅力的に感じていました。
が、配属されたのは広報チームという、物件には直接関わらない部署でした。
先に述べた女性上司の引き抜きだったとのことでした。
でもまぁ、希望の部署につけないことはよくあることだということはさすがにわかっていましたし、見込まれたならその分がんばろうと思ったものです。

甘かった。

そこで待っていたのは一見砂糖衣を纏わせたような罵倒の日々でした。
笑顔で差し出される毒は感情の致死量には充分で、日に日に心は感覚を失っていきました。
しかも、体は慢性的な寝不足で朦朧としています。
そこに毎秒流し込まれる価値観。会社仕様に作り変えられていっているのだとは気づきませんでした。
周りの友人たちの心配する声はぼんやりとしか届かず「でも、周りの人はみんなすごいから」「でも、わたしが頑張れてないだけだから」と会社賞賛と自己嫌悪のでもでもだってちゃん状態でした。

「ちゃんとできてないのに終電で帰れると思わないで」と面と向かって言われたこともありました。
ちなみに、この「ちゃんと」はこの上司が気にいる案を形にして提出することです。つまり、上司のOKが出ないと帰れません。いっそ上司が定時で帰ってくれたなら「翌日」という選択肢もあったでしょうが、上司は終電まで会社に残ることを喜んでいるフシがありました。そうして、終電に間に合わなければ「明日、わたしが出社してくる前に」となるわけでした。
実力主義といえばその通りなんでしょう。この時点で入社二ヶ月目でした。(二年目ではない)
22時になった時計を見て、「まだ十時かぁ……」などと思っていました。どこが「まだ」なのか。というツッコミは会社を辞めてしばらくしてからでないとできないものでした。

上司からの暴言はもういくつか印象に残っているものしか覚えてないのですが、なにやらやたら肌を褒められたのがあのやり方の象徴かなと思い返します。
どういうことかと言いますと、配属初日の面談で成長について聞かれて「褒められたら嬉しくなって伸びる方のタイプだと自認しているので、もしよければ褒めてもらえると嬉しいと思います」というようなことを言ったのでした。
で、それからやたらと肌の色を褒める。最初はよくわからず「?」となりながらひとまずのお礼を述べていましたが、数日経って「褒めてほしいっていうから褒めようと思ってるのに肌以外褒めるとこないからさあ」とのことでした。

たぶん上司も疲れてたんだろうなーと思う直接的な暴言は車内で二人きりになったとき、上司の運転で寝るわけにはいかないと口を開くと「寝てていいよ」と言われ、いやそれはできないと思っていると「わからない?あなたの声聞いてるくらいならラジオ聴いてた方がマシだから」とのことでした。

諸事情により暴言には耐性があったので、死にたくなるというようなことはありませんでした。というか、傷つく気力さえ残されていないという側面もありました。
ただただ、自分の至らなさが恥ずかしいばかりでした。
洗脳されてましたね。
キレていいんだよと、今なら思えますが。実際、上司はわたしをキレさせたかったのかもしれません。それで何が得られるのかは改めて考えても不明のままですが。その頃には、社内でもこの上司が困った人扱いされているのだという空気はひしひしと伝わってきていました。

最終的に洗脳された心に横っ風が吹いたのもまた、この上司の一言でした。
熱い会社という社風通りに仲の良い振る舞いの多かったこの会社で、某月某日、わたしにも誕生日プレゼントなるものが用意されていました。
プレゼントを受け取ってお礼を言ったわたしに、満面の笑みで上司は言いました。
「嬉しいでしょ? こんなふうにあなたのことをお祝いしてあげるのなんて私たちだけなんだから」
ん?と思った違和感を言葉にするだけの気力は有していませんでした。
適当に同意のような返事をして、帰り支度の鞄の中に仕事中は触らないようにしている自分の携帯が着信を瞬かせているのを見て、ああ、と思いました。
そうか。この人はかわいそうな人なんだ。
0時と共に、あるいは昼休みに、あるいは終業時間に。あたたかく届いたお祝いの言葉は、この人の世界には存在しないものなのかもしれない。
終電まで残るのが嬉しいはずだ。
会社こそが家族で、居場所だから。
わたしも、他のみんなも違うんだけどなあ。

上司と言ったところで、不安定な人間なのでした。
会社第一の仕事人間になろうとしないわたしという新入社員はきっと疎ましかったことでしょう。
真っ当に取り扱われている実感があったらまた別だったとはおもうのですが。でも、その実感は毎日焚き火にくべられていて。疲れ果てたわたしの中にぽつんと落ちたのは一言だけでした。
————あなたの不幸に、周りをつき合わせないで。
上司が幸せそうだったら、思わなかったような気がします。でもそうは見えなかったので。
創業メンバーだからという理由で持っている権力よりもきっともっと欲しいものがあっただろうにそれを与えられず、振りかざしたものを敬遠されている姿はもう哀れにしか見れなくなりました。

とまあ、上司への恨みつらみを長く取ってしまいましたが、じゃあ別の上司だったら保ってたかというとそれも微妙なところです。
良くしてくださった方もたくさんいらっしゃいました。新入社員主導の企画ごとで、別チームの上長の方(この方も女性の方です)には本当にお世話になりました。
実際のところ、長く勤めてらっしゃる方は人間的に素晴らしい方が多かったです。その証のかのごとく、毎週のように同期か一つ上の先輩が辞めていきました。自然淘汰です。生き残った側の結束はさらに強く、倒れかける者にはちゃんと手が差し伸べられました。始発まで続く業務時間内の中で。
もう少しわたしに体力と体育会系のノリがあったなら、先輩方との結びつきが上手く馴染んで社内生き残り側になっていたかもしれません。
そう考えるとちょっとゾッとします。
よかった体力なくて。

ブラック会社で生き残る、社内的な勝ち組に入ることは果たして幸せなのか。
その答えをわたしは知りません。
ただ、あの会社を辞めてから経験した様々な出来事を思うと、あの会社の中で同じ年月を過ごしていた分岐ルートでの自分はかわいそうな人になっていたかもしれないと思うのです。

結果として、わたしは四ヶ月でその会社を辞めました。同期の中では保った方でした。
たった四ヶ月、されど四ヶ月。
大学数年分より濃かった時間でした。実際、起きていた時間は多かったです。
心身ともにボロボロになり、初めての一人暮らしに別れを告げて実家へ返還されました。
わたしの両親はボロボロで出戻ったからといってよちよちしてくれる親ではないので、そこからまた「社会の負け犬」として存在否定の毎日が始まるわけですが、それらもすべて遠いことです。

不幸自慢というのは不幸なときにしたくなるもののようで、特に不幸さを感じていない今はなんだか遠くて「そうだったなー」くらいの距離感なんですね。
会社のことのついては特に、書いてるうちに思い出してきた事柄が多く、忘れていたし思い出したところで改めて傷つくこともなく。もはや過去になった当時の人たち何やってんのかなーと思うくらいでした。
不幸だった昔のことは、整理さえしてしまえば今の幸福には影響しません。

部屋の片づけも、心の片づけも似たようなものです。
片づけ上手はトクですよ。

片づけは技術です。
生まれつき得意なひとは稀です。
学んで実践する気さえあれば、鍛えられて身につきます。
恐るなかれ。
わたし自身も、最初は片づけ苦手の一人でした。

とまあなんとなく上手い感じに繋げられましたね。
でもこれはほんとそう思います。

入って早々「ブラック会社に入ってしまったー!」と思っても、絶望することはない、というのが当時の自分にかけてあげたい言葉です。
ブラック会社に入っていいことってあるかなーと考えましたが、今みたくネタにして語れることですかね。
弱者の立場は一度経験しとくと今後に活かせられます。友達多いんだぜアピールみたいなのをしましたが、数年単位の長期に渡るいじめを受けていた経験の裏返しともいえます。接客業を経験すると店員さんを困らせない対応を意識するのと似ています。
そのあといろいろあり、ああなってこうなって、今ここに、自分のやれることを考えた中で研鑽を積む形に落ち着きました。
頑張りたいことを頑張れること、それが結びつき役に立ったと言っていただけることは純粋にありがたくて嬉しいです。
あのまま会社の中に留まっていたら、得られなかった感覚だと思います。

まだまだ前途は多難ですが、この形で御縁のあった方々のお役に立てればと精進していきたく願っています。

人生万事塞翁が馬です。
たとえ長く逃げ場のないいじめに遭い、親から否定され続け、挙句にブラック会社に入社してしまっても、そこで人生が終わったりしません。

ということを、もし絶望してる人がいたら経験者よりお伝えいたします。

2018/4/4