片づけは絶対正義ではないということ



片づけ師をしておいてなんだと思われるかもしれませんが、整理空間こそがパーフェクトであると断言はしてきませんでした。

人によっては、整理整頓されたインテリア雑誌のようなお部屋が正解ではないことをよく知っているからです。

「散らかった状態の方が落ち着く」という方もいらっしゃいます。

この感覚は一概に否定されるべきものではない、ということを「天才たちの机は片づいてなどいなかったぞ!」なる論拠に基づいて述べた一冊が、

岩波邦明さんの『片付けない技術』(宝島社)です。

ページ内の文字の配置や構成が非常に読みやすいので、サクサク読めるという点でもオススメいたします。

ただし、この御本の中の中で具体的に述べられているのは机(作業台)についてが中心です。

けれども、この「乱雑」を部屋にまで拡大することを否定してはいませんので、人によって居心地の良さを探求すると良いと思います。
筆者自身は東大受験の際に部屋は片づいていて、机の上だけが散らかっている状態、「「作業空間だけを乱雑にする」というコントラストの手法」が自分に最適だったとしています。

この御本の面白く、最大の特徴であるところは「乱雑の秩序」について詳しく解説している点です。

その上で、さらに「心地よい乱雑」を作る実践手順を紹介しています。

文中にも出てくるのですが、ここで述べられる「心地よい乱雑空間」は箱庭作りに似ています。

自分の気になるもの、気に入っているものを持ってきて、心が反応する組み合わせを生み出し、しっくり落ち着く場所に配置する。
これを繰り返すことで、最も自分に適した空間を創り出す。

以前の記事()にて、〝「一見して片づいて見える部屋」が本当に片づいている、あるいは居心地のいい部屋であるとも限らない〟と述べましたが、まさにその究極、散らかりストの最上位のような感じです。

ぱっと見スッキリして見えても、どこに何があるかわからなかったり、ストレスが多い状態になるのは「片づいている」とは呼べません。
少なくともヲタ式片づけにおいては、例えば座ったままで必要なモノすべてに手が届く状態がその方にとって最適であるなら、その状態を「片づいている」とゴールに定めて、今後のモノの変化に対応できるように作業とアドバイスを組むのが「その方にとっての正しい片づけ」になります。

片づいている部屋とはイコール「部屋の主が居心地の良い部屋」です。

「一見して片づいている部屋」の方が「散らかって見えるが本当に居心地が良い部屋」より上位であるとする刷り込みは根強いですが、自分の中ではっきり納得できるほど居心地の良い「乱雑空間」を生み出すことができれば、常識をくつがえせる可能性も出てきます。
少なくとも自分のプライベート空間において、自分に対して「これでいいんだ!」と胸を張って暮らすことができるかもしれません。

自分にとって、本当に居心地が良い状態とはどんなものか?
を、いっそ遊んでみるくらいの気持ちで楽しく、試してみるのにはうってつけの手順がこの御本には記されています。

片づけられない原因に「片づけられた空間では落ち着かない、作業パフォーマンスが落ちる」という体験が根ざしている方は、一度この御本に述べられている箱庭的散らかり空間の創造を試してみるのもアリかもしれません。


『片付けない技術』岩波邦明著(宝島社)

2018/4/4